遠近法ノート

本好きのデザイナー、西岡裕二の日記帳なのです。デザインと読書について書くはず。

父に聞く その2

映画看板の仕事へ

1962年(昭和37)、父は、映画の看板を専門とする○○画房に入社しました。
当時、市内には10館程度の映画館がありました。
そのうちの3館を擁していたのが○○興業で、映画館やホテルなどを経営する、県下ではよく知られたグループ企業です(現在も存続しています)。○○画房はその○○興業専属で、3館の映画看板を一手に手がけていました。
社員は10人ほどで、直接看板を描く仕事をしているのは3、4人でした。
最初の頃は、筆洗いや色塗り、それから看板の取り付けが主な仕事で、市内の銭湯に映画のポスター貼りに行ったりもしました。

仕事の実際

映画館の看板は、メインの大看板と左右に並ぶ袖看板からなります。メインはもちろん上映中のもので、袖には近日公開予告が並びます。当時は3本立てか2本立てが普通でしたから、大看板に2、3の作品をいっしょに描き込んだりしていたようです。
映画の上映期間は1週間。ですから大看板も1週間で掛け替えます。
上映時間は午前10時くらいから夜の10時くらいまで。休みなしなので、掛け替えは夜に作業していました。看板は布張りとベニヤ張りがあって、場合に応じて使い分け。布張りだと一回こっきりですが、ベニヤのものは、紙を貼って描き、何度も使い回しします。
支給されたポスターを幻灯機で拡大して下書きし、まず、大先生が役者の顔と手足を描きます。それから二人くらいで服と背景、文字を描くという手順です。
4年ぐらい経つと父も中堅どころになり、タイトルや俳優の名前から描かせてもらえるようになりました。

顔パスで映画見放題

1960年代は、映画が本当に盛んな時期だったようです。
○○画房に入社したての頃、映画はモノクロが主だったようですが、間もなく「総天然色」となり、後に表記は「カラー」に変わりました。
映画館の仕事をしているため、父は映画館に入るのは顔パスで、映画は見放題でありました。
なんともまあいいご身分です。この時代の人としては相当映画を観てるほうではないでしょうか。何せタダなんですからね。たまには友達も連れて行ったりしたそうです。
このころ観た映画でよく憶えているのは何かと聞くと、
『天国と地獄』『名もなく貧しく美しく
若大将シリーズ』『007シリーズ』それに任侠ものいろいろ。
自身も看板を手がけて記憶に残っているのは、
『北京の55日』『シェルブールの雨傘
と、結構意外なタイトルが上がりました(近いうちにどっかで借りて観てみようっと)。
(つづく)




当時のスケッチより。いずれも練習のために描いたもの。


これも練習で描いた役者の顔。ベニヤに紙を貼って描いてあります。


こちらは○○画房に入る以前のスケッチ。

父に聞く その1 id:n-yuji:20050820
父に聞く その2
父に聞く その3 id:n-yuji:20050911
父に聞く その4 id:n-yuji:20050924