遠近法ノート

本好きのデザイナー、西岡裕二の日記帳なのです。デザインと読書について書くはず。

僕のDTP回想記 その1

n-yuji2007-09-01
いつのまにか、僕も回想記なんぞが書ける年齢になってしまっているのです。
以下、自分の個人的な思い出話です。

DTPに出会う

僕が初めてDTPというものに触れたのは、1995年のこと。
そのころ僕は専門学校でエディトリアルデザインを専攻しており、デザインの基礎から写植・製版指定の仕方なんかを習っていました。
もう卒業に近い頃だったと思うんですが、どうやらエディトリアルデザインDTPというものになるらしいという噂が流れていまして、学校側もいつのまにか設備を導入していたんですね。それで、本来なら僕らの代の授業過程にそれは入ってなかったんですが、特別にDTPの授業を受けられることになりました。そこで出会ったのがMacintoshQuarkXPressです。
講師の先生はライターさんで、自分で原稿書いてQuarkXPressでレイアウトもしちゃうという、今にして思えばずいぶん先進的な事をやっている人でした。50代くらいのおじさんだったんですけども。

Macintoshに違和感

僕は高校生の頃、MSXやPC8801で遊んだり、授業でもPC98でBASIC組んだりしていましたから、コンピュータには多少耐性があるつもりだったのですが、このMacintoshという機械には強い違和感をおぼえました。
ひとことで言うと、「日本人が作ってるんじゃない」(実際そうなんですが)。
そのころのMacintoshは、もろに海外製の機械というふうに見えました。操作方法は独特でなじめないし見た目もダサいし。後々、“Macインターフェイスは優れている”とか“Macのデザインはすばらしい”とかいう言説を目にするたびに、「それ本気で言ってんのかよ」と思ったものです。

DTPに可能性を感じなかった

それからQuarkXPress。すぐに、これはダメだと思いました。
なかば直感で、「これを使って世の中に出回っているような印刷物を作るのは到底無理だな」と。
当時は、何がどうダメなのか言い表す言葉を持っていませんでしたが。
そんなわけで、僕は、DTP黎明期に、DTPに何か新しい表現の可能性を感じたとか、そういうことは全然ありませんでした*1
ただ、「貧乏くさい、安っぽい」というイメージを持ちました。
(たぶん続く)

*1:実際には、80年代後半がDTPの黎明期とされていますから、新しいものにわくわくするといった感情が持てなかったのは当然とも言えるでしょう。