太宰治の『人間失格』。『デスノート』の小畑健が表紙絵を手がけた集英社文庫版が話題になっています。いえ、話題になっているだけでなく、古典としては異例な売れ行きだということです。
太宰「人間失格」、人気漫画家の表紙にしたら売れて売れて YOMIURI ONLINE
- 作者: 太宰治
- 出版社/メーカー: 集英社
- 発売日: 1990/11/20
- メディア: 文庫
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「ラノベかよ!」
「ありえねー」
「売れりゃいいってもんじゃねえぞ」
「まあ、若い人が手に取るなら……」
といったところでしょうか。
ちなみに僕の第一印象は、特に否定的でも肯定的でもなく「うわー、こう来たか!」ぐらいな感じでした。
名作古典に人気漫画家のイラストを使って売り上げ増、実に分かりやすい話です。
しかし、どうも引っかかります。
『デスノート』と太宰治がどうして繋がるというのでしょうか?
たぶん繋がるのです。
そのカギの一つは「ノート」なのです。
以下、猪瀬直樹『ピカレスク 太宰治伝』*2を参照・引用しつつ、太宰治がどういう人物であったのかを書いてみます。
太宰治と「ノート」。
名作短編として知られる「女生徒」。この小説が実在の女学生のノートをもとに書かれたものであることは、文学好きの方ならたいてい知っていることかと思います。ノートは、19歳の有明淑子*3が自ら、新人作家・太宰治宛に送ったものです。
素材を直に使う、それは井伏鱒二が苦しまぎれに選んだやり方であった。素材の順番をそのままにリライトしていく。テーマを集約する力がない。
だが太宰の「女生徒」は、春から夏までの日記を素材としていながら、たった一日の出来事に作り替えている。
現在であればどちらにせよ盗作と言われかねないところですが、「女生徒」の評判は良く、仕事の注文が急に増えます。
そんなところへ、今度は太田静子という読者からノートが送られてきました。
静子は二人の文学少女と連れだって太宰のもとを訪ねます。
「あなたはあまり丈夫ではないようだから小説を書くのは止めたほうがよい。日記を続けることです」
太宰には、「女生徒」と同じような日記をもとにした作品を書く心づもりがあって、静子の日記が熟成するのを待つ算段であった。
そして戦後。静子のノートは紆余曲折を経て、長編「斜陽」に化けるわけです。
「死」の小説化。
もちろん、太宰治は他人のノートを借用ばかりしていたわけではありません。
自分の実体験を脚色して小説化するのも太宰のスタイルです。その実体験とは、ほとんど犯罪スレスレ(というか殺人そのもの)で、狡猾にも“脚色”は、その犯罪性を隠蔽する手段でもありました。いくつかの心中未遂事件は、明確な目的を伴った狂言であり、太宰には死ぬつもりなどなかったのです。心中相手は死亡して太宰は生き、そのリアルな(?)体験を何度も小説に取り込みます。
太宰治とは、そういうとんでもない人物なのです。「サイコパス」という診断さえ出ているくらいです。
私小説とケータイ小説と。
では、現在の文学に目を転じます。
先日たまたま読んだ『ユリイカ 2007.8』*4掲載の、「新本格からセカイ系へ、そしてゲーム的実存へ!?」(東浩紀・笠井潔・海猫沢めろん三氏の対談)から少し引いてみます。
- 東氏の発言から
TYPE-MOONの読者とケータイ小説の読者は重なっていると……いや、重なってないか(笑)。でも『DEATH NOTE』とは確実に重なっていますよね。
確かにそんな気がします。そして、『DEATH NOTE』の読者の大半はライトノベルも新本格ミステリも読んでいないでしょう。
集英社文庫版『人間失格』、見た目はライトノベルの表紙に似ていますが、小畑健はラノベの絵師だったでしょうか? ちょっと違いますよね。この事実も軽く見過ごすわけにはいきません。
- 東氏の発言から
しかし、日本では、いまだに内側から出てくる物語しか文学とは言われていない。(中略)そこからすると、ケータイ小説というのは、むしろ正統的な文学です。(中略)作家と主人公を同一視して、物語の内容を現実と比べるような批評、つまり僕が「自然主義的な読解」と読んだ批評がいっぱい書かれている。実はケータイ小説は、完璧にこの構造をなぞっている。
なんだか話が繋がってきたような気がしませんか?
- 笠井氏の発言から
佐藤友哉の三島賞受賞作『1000の小説とバックベアード』を僕はあまり評価しません。小説を書きたい、でも書けない、最後に書けたという過程を書いた小説ですが、二〇世紀のはじめにプルーストがとことんやったことですよね。
ちなみに太宰は、日本のプルーストになるつもりだったらしく、初めての単行本を出版する際、
出版の算段になった。
「印税はいりません。ただし……」
太宰はそう言いながらおずおずと一冊の翻訳本を差し出した。マルセル・プルーストの『失われた時を求めて』(中略)であった。
「装幀を、そっくりにしてください」
武蔵野書房版の翻訳本は、横光利一でも川端康成でもみなこれを入手していて一種の知的流行になっていたから、『晩年』の装幀が酷似していればその挑戦的な意図、メッセージを読み取ってもらえると考えた。
作家にとっても装幀は重要なんですよ。作品自体と見た目は関係ないんだと思ってる方も多いと思いますけど。たぶん、太宰治なら今回の集英社文庫版『人間失格』を歓迎することでしょう。
最後に。
ここでバシッと結論めいたことを書けるとかっこいいかなと思うんですが、どうも僕にはその才がないようです。昔と今は同じだね、などとは思いたくないですし。
とりあえず、『人間失格』を読んで中二病に罹っちゃった人も、太宰治嫌いな人も、猪瀬直樹*5の『ピカレスク 太宰治伝』(幸いなことに、つい最近文庫版が出ました)を読むといいと思います。
読めば「文学」の見方が変わるかもしれません。
文壇っておっかないところです。
- 作者: 猪瀬直樹
- 出版社/メーカー: 文藝春秋
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9/6追記。
蛇足ですが、『〝文学少女〟と死にたがりの道化』を読めば、ちゃんと日常の世界(?)に戻ってこられると思います。
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