遠近法ノート

本好きのデザイナー、西岡裕二の日記帳なのです。デザインと読書について書くはず。

上製本の背の作りについて

上製本の背の作りの分類

上製本、というのはいわゆるハードカバーの本のことですが、現代の製本では、その背の作りは以下の図のように分類できます。

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上製本の背の作り

まず、上製本には丸背と角背があります。
丸背の上製本は、背と本文とが直接は接着されておらず、ページを開くと、背に隙間が空くんですね。この仕様はホローバックと呼ばれています。本文と表紙は見返しでつながっています。ホローバックはページが開きやすいのが特徴です。

角背の上製本には2種類あり、一方は丸背上製本と同じようなホローバック、もう一方は背と本文が完全に接着されているもの。これはタイトバックと呼ばれています。角背のタイトバックは少々開きが悪いんですが(構造から言って並製本と同程度かな。読み物であれば特に問題ありません)、頑丈であるという長所があります。
上製本には、「丸背」、「角背・ホローバック」、「角背・タイトバック」、この3種類があるわけです。おそらく大部分は丸背だと思いますが、手近な本棚で2~30冊も確認すれば、この3種類が見つかると思います。逆に、その十倍を当たったとしても、この3種類以外はそうそう見つからないのではないでしょうか。あったとしたら特殊装丁の類いかな……。

丸背でタイトバックというのはありません。丸背上製本で、一見、背がくっついているように見えるものはよくあるんですけど、よーく本を開けば(大丈夫、現代の上製本はそう簡単に壊れないのです)、背と本文が接着されていないことが分かります。背に現れる隙間は本によってかなり違いがあって、大きなトンネルが空くものもあれば、ささやかな隙間しか空かないものもある。製本所の個性や背固めに使う資材に由来することと思います。ともあれ、丸背はすべてホローバックです。

上製本は、丸背(ホローバック)、角背・ホローバック、角背・タイトバックの3種類。
以上のところを「うん、事実確かにその通りだね」と納得していただければ、以下は読む必要ありません。

謎の「背の3様式」

ところが……。
デザイン関係の本やWebサイトで、下のような図版を用いて説明しているものがいっぱい出てくるのです。

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こちらは『標準 編集必携 第2版』(日本エディタースクール、2002、第1版は1987)のP151から。「背の3様式」として、何の説明もなしに出てきます。
自分にはこの図がよく理解できなかったんですね。丸背でタイトバックとか見たことがありません。フレキシブルバックというのは辞書とかに使われてるやつでしょうか? でも、今なら言えます。この図は(現代日本の市販の本の説明としては)間違っています。
あ、申し遅れましたが、僕はブックデザインを仕事にしております。しかし、だいたい、デザイナーだからと言って製本に詳しかったりはしないのです。ちょっと工場を見学したくらいで何も分かるわけないじゃないですか……。
そうは言ってもちゃんとした知識を得たい。でなきゃ装丁家とか、とても名乗れない。
そんな次第で、僕は、この図の出所を探ることにしたのです。
情報源はあくまで本(とWeb)です。

実例

さて、「いっぱい出てくる」と言っても、まずは実例を挙げておく必要があるでしょう。
たとえば、『デザインのひきだし23』(グラフィック社、2014)P41より。図に添えて、分かるような分からないようなあやふやな説明が書いてあります。

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さすがにこの図はおかしいと気づいたのでしょうか。同じく『デザインのひきだし41』(グラフィック社、2020)P23では、絵を角背に変えてありますね。でも、これでは説明不足です。

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『デザイン解体新書』(工藤強勝監修、ワークスコーポレーション、2006)P216や、

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デザインの現場BOOK 印刷と紙』(美術出版社、2010)P112にも同じような図が見られます。

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信頼できる資料と思われた『タイポグラフィの基礎』(誠文堂新光社、2010)P158にさえも……。

Webでは、「ホローバック 製本」とか「フレキシブルバック 製本」とかいった語で画像検索すれば、まったく同じようなトレース図がゾロゾロ出てくるかと思います。

現状を正しく書いた本はあるのか

実はもう20年くらい前に入手してた本なんですけど、『製本加工はやわかり図鑑』(関根房一、日本印刷技術協会、1993)には、現状を正しく反映した図と説明がちゃんと載っています。自分の知る限り、このような図を載せているのは本書ぐらいです*1
(画像はクリックすると拡大します)

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『製本加工早わかり図鑑』P18-19より

フレキシブルバックについては、

薄表紙が使われる辞典類に採用されます。

とありますね。薄表紙というのは、「薄表紙上製本」のことかな? 薄表紙上製本は、昔(1980年代以前)の辞典とかがこれでした(図書館に行けばたくさんあります)。板紙の代わりに薄めの曲がる紙を表紙に使うもの、ハードカバーじゃない上製本で、今でも画集とかで見かけることがあります。でも、たいていの薄表紙上製本は丸背(ホローバック)だなあ。

さかのぼって調査する

どうも「背の3様式」の説明は、日本エディタースクール系が怪しい。そもそも『編集必携』という本は、『出版編集技術』の再編集ダイジェスト版という性格があります。500円シリーズと称する小冊子群も同じです。
『出版編集技術』は大部の資料集で、通読して理解できるような本ではありません(よくぞこれをまとめ上げたものです……)。エディタースクールでどのように教えているか存じあげませんが、出版社や編集プロダクションの本棚には、たいてい置いてあるんじゃないでしょうか。
下は『新編 出版編集技術 上巻』(日本エディタースクール、1997、ちなみに新編じゃないほうの第1版は1968で、原著者は藤森善貢氏)から。

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『新編 出版編集技術 上巻』P164より

いまひとつピンとこない説明ですけど、ホローバックについて、

現在の本製本はほとんどこの様式をとっており

と、はっきり書いてあります。ただ、ぱっと見は「背にはフレキシブルバック、タイトバック、ホローバックの3つの様式がありますよ」というふうに見えてしまう。角背との関係も書かれていません。
どうもこれが感染源になっているのでは……。
もっとも、この『出版編集技術』が「背の3様式」の初出とは考えにくい。もうちょっと探ってみましょう。

『造本の科学 上 造本篇』(日本エディタースクール編、1982、初出は『エディター』1972-73)で、『出版編集技術』の原著者でもある藤森善貢氏がこう書いています。

本製本の丸背の様式を分類してみますと、

そして例の図が出てきます。

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『造本の科学 上』P28-29より

このページの記述を要約すると、こうなります。

 

革製本の時代にはフレキシブルバックが使われていた。

背文字を箔押しするようになったら金箔が落ちる。

タイトバックで背を固めた。だが開きが悪い。

ホローバックという方式を考案し、現在広く使われている。

 

つまり、「背の3様式」の図は、丸背上製本歴史の記述でもあったわけです*2
革装の本なんて手に取る機会がないです。丸背のタイトバックというのを僕は見たことがありませんが、この時代(1970年代?)にはまだあったのでしょうか。背文字は箔押し。そして角背の本はこの文脈の外なのです。道理で「背の3様式」の図が理解できないわけです。


さらにさかのぼって、『製本ダイジェスト』(牧経雄、印刷学会出版部、1964)にも「背の3様式」が出てきました。

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『製本ダイジェスト』P94-95より

こちらは『造本の科学』に18年先行、旧版の『出版編集技術』の少し前ですが、ほぼ同じ見解が述べられています。丸背の作りを改良していった歴史が共有されているわけです。『造本の科学』には、牧氏の努力によって開きやすい本を作れるようになった、というような記述もあり、交流がうかがえます(つまり、ただ単に『製本ダイジェスト』をトレースしたわけではない)。

 

そして、製本に関する古書として著名な「製本之輯」(『書窓』第11巻2号、昭和16年3月アオイ書房刊、上田德三郎口述・武井武雄図解、1941)に出てくるのが下図です。復刻本である『HONCOレアブックス3 製本』(紀田順一郎監修、トランスアート、2000)にて確認しました。おそらく、この武井武雄の絵が、すべての元ネタ(つまり、牧氏や藤森氏の参照元)だと思われます。なぜそう言えるかというと、『製本ダイジェスト』に、「線画原稿は(略)武井武雄氏の著書その他から拝借しました」とあるのです。
図のタイトルに、はっきりと「丸型の背の三様式」と書いてありますね。
この時代(昭和初期です)には、まだこの3様式が使われていた?のかもしれませんが、すでに「一番上の形が最も多い」とも書かれています*3

『HONCOレアブックス3 製本』P66より

結論

海外の製本との関係とかも気になるところですけど、今回の調査はだいたいこのあたりでいいでしょう。というかこの辺で勘弁してください。
いちおう結論は出ました。

 

  • 「背の3様式」の図は、ホローバックに至る、丸背上製本の改良の歴史を説明したものだった。
  • ところが、この認識がじゅうぶんに継承されず、上製本の背に3つの様式があるかのような(それ自体は間違いともいえないが)劣化した説明が広まった。
  • 現状との食い違いを解消するため改変した図も現れたが、説明がちぐはぐになった。

 

ということです。
歴史を継承するって大切ですね。
まず目の前にある現物を見ましょう。「背の3様式」など、今は存在しません。
わけも分からず昔の図をトレースするのは止めましょう。

おわりに

『造本の科学 上』(なお、下巻は出なかった模様)と『製本加工はやわかり図鑑』は、ブックデザイナーを目指す人は手元に置いておくと良さそうです。日本の古本屋などを使えば、たぶん入手できます。『製本加工はやわかり図鑑』はGoogle Booksにも一部あり。

補遺・辞書の製本

かつて辞書に使われていた薄表紙上製本。1990年代前後にビニール装に置き換わりました。これを上製本のカテゴリに含めていいものか、やや疑問を感じるのですけど、薄表紙上製の後継だから上製本扱いなんだと思います。
で、このビニール表紙上製、背が接着されていないものと接着されているものがあります。ホローバックとフレキシブルバック*4ということになるでしょうか。だいたい背は接着されていないものと思ってましたが、最近(最近っていつだよ)は接着されているほうが多いような印象です。
どちらも背はグニャグニャと曲がりますけど、背文字の箔が落ちるということもないようです。糊なども改良されて、一周して革製本の頃と同じ仕様に戻ったかのようです。
製本も変わっていきます。

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辞書等に使われるビニール表紙上製



ページの画像は引用扱いとさせていただきます。引用の範囲を超えるのではという意見もあるかとは思いますが、ここまで出さないと話が通じないので……。
また、批判する形になってしまいましたが、『標準 編集必携』も『デザインのひきだし』も、とても参考になる本です。

 

*1:追記:『製本加工ガイドブック 技術概論編』(製本加工編集委員会、JAGAT、2006)、『装丁デザインのアイデア!』(オブスキュアインク・ボーンデジタル書籍編集部、株式会社ボーンデジタル、2015)にも正しい説明が載っていました。

*2:その歴史認識が妥当かどうかはまた別問題です。

*3:追記:この件についてのTwitterのやりとり

*4:『製本加工ガイドブック』によれば、「丸背のタイトバック=フレキシブルバック」であるということになっています。