遠近法ノート

本好きのデザイナー、西岡裕二の日記帳なのです。デザインと読書について書くはず。

目次と扉のノンブルについて。扉にノンブルが入っててもいいじゃない?

以下、書籍制作に関わる人以外は読まないほうがいいです。

書籍制作では、扉にはノンブルを入れない(隠しノンブル)というのが常識みたいになっていますよね。でも、それってどうなんだろうか? 「扉にノンブルが入っててもいいんじゃないの」って思ったことありませんか?
そんなわけで、目次と扉のノンブルの関係を、3つのケースに分けて説明します。いちおう画像を用意しましたが、現物がないとたいへん分かりづらいので、お手元の本をいろいろ参照しながら読んでもらえるといいかなと思います。

ケース1…目次に章のページ番号あり、章扉にはノンブルなし、章以下が小分けなし

目次には章のページ番号があり、たとえば、
第1章……11
と表記されています。ただし、ページをぱらぱらとめくっても、11というノンブルは決して出てきません。なぜなら扉は「隠しノンブル」だから。実際の第1章の文章は12(または白ページを挟んで13)から始まるわけですが。
章以下が小分けされていない場合、目次に並んでいるページ番号は、実際には一切出てこないことになります。「んな馬鹿な……」と思った人はお手元の本をご確認ください。こういう作りの本はすごく多いです。小説だと短編集とかこんな感じ。
デザイン的にノンブルを入れたくないということもあるんでしょう。でも、「扉にはノンブルを入れない」って、そんな強固なルールだったのかしら? 別に扉にノンブルが入っててもいいんじゃなかろうか。

ケース2…目次に章のページ番号なし、章扉にはノンブルなし、章以下が小分けあり

目次に章のページ番号がありません。章以下が小分けされており、章扉の次のページからノンブル表記があります。これは理屈に合っておりますね。さすが、歴史ある版元の学術書はたいていこれです。
「章(扉)以下が小分けされているか否か」で対応が変わってくることがわかりますね。

ケース3…目次に章のページ番号あり、章扉にはノンブルなし、章以下が小分けあり

ケース1と2の中間みたいでなんだか中途半端な感じがします。実際には一番よく見かけるかも。目次にある章のページ番号をそのまま削除すればケース2になるわけで、そうするのが本来のような気がします。もしくは扉にノンブル入れるか。

「目次に並んでいるページ番号が実際には出てこない」っていうのは、僕はやっぱりおかしいんじゃないかと思うんですけど、どうでしょう。「扉をたてない」という選択肢も当然あり得るわけで、杓子定規に「隠しノンブル」とするのでなく、総合的に判断するべきかと思います。……なんだかすごい当たり前のことを書いてる気がしてきましたが。

以上のようなことをなぜ書いたかというと、自分はデザイナなので原稿やページ割りをあまり勝手に変えるわけにもいかないから(デザイナもそれなりに考えてるんです)。そんなわけで編集者の方たのみますね……。


追記:
日本エディタースクール『文字の組み方ルールブック』にも、

*中とびらや半とびらにはノンブルをつけないのが、今までの習慣となっている。しかし、印刷においても製本においても、ノンブルは重要な役割をもつものであるから、できるだけ入れたほうがよい。

とありました。