遠近法ノート

本好きのデザイナー、西岡裕二の日記帳なのです。デザインと読書について書くはず。

プロポーショナル組みと行頭禁則と美術展の図録

プロポーショナル組みは新しい?

自分の仕事が出版方面のデザインなので、ついつい書籍・雑誌を中心に話をしてしまうんですけど、同じ印刷物でも、ちょっとジャンルが違うと別種のお約束がまかり通っていたりするものです。
書籍・雑誌の本文組では、ベタ組みが基本というお約束があります。安易なプロポーショナル組みは字間がばらつき文字数も曖昧になるので、あまりいいことはありません。
ところが「ベタ組みは古い、プロポーショナル組みが新しく良い」みたいな認識を持ってる人もたまにいらっしゃるんですね。そういう認識はいったいどこから出てきたんだろ? と思っていたのですが、最近なんとなく、その流れは「美術展の図録」にあるのではないかなと思うようになりました。
「美術展の図録」というのは、こう言ってはアレですが「高級な仕事」だったんだと思います。今はどうだかわかりませんけど、90年代頃にはエディトリアルデザインのある種の頂点のように扱われていたふしがあります。プロポーショナル組みを良しとする認識は、知ってか知らずか、それらの流れに影響を受けているような気がします。

90年代に(たぶん)流行ったプロポーショナル組み

ではここで手元にある図録からいくつか実例。

アール・デコの世界』(1993)
石井中ゴシックのプロポーショナル組み。

『同上』
石井新細ゴシックのプロポーショナル組み。

ビアズリーの世紀末展』(1997)
本蘭明朝のプロポーショナル組み。

ウィリアム・モリス』(1997)
本蘭明朝+Garamondのプロポーショナル組み。

『ハインリヒ・フォーゲラー展』(2000)
ヒラギノ明朝+Century Old Styleのプロポーショナル組み。

80年代以前のものはほとんど持ってないのですけど、電算写植で本文をプロポーショナル組みできるようになったのが80年代以降?なので、90年代に「美術展の図録」等の「高級な仕事」で電算写植を使う本文プロポーショナル組みが流行ったんじゃないかと思うわけです。「美術展の図録」以外だと「会社案内パンフレット」とか、まあ広告方面の分野ですね。上の画像はレアケースを拾ったつもりはないのだけど、本蘭明朝のプロポーショナル組み本文とか、ほかでは見たことないです。

読まれなくていい文章って

これらのプロポーショナル組みは、長い行長、強めの禁則処理(小書きのかな、中黒など行頭禁則とする。音引きは許容されてるみたい)と対になって、均一なグレーボックスを作っています。これはこれで完成された美しい組版(というかテクスチャ)だとは思います。ただ、絵を見る邪魔にならないことを目指した感じで、あまり文章を読もうという気にならない。「読まれなくてもいい文章」を美しく組む、というやりかたに、なにやらバブル時代の空気を感じるんですが、考えすぎかしらん?
今や簡単に実現できるプロポーショナル組み。これはもう単に組版のオプションのひとつに過ぎなくて、別にそちらが高級なんて話はありません。その意味を考えれば、雑誌や書籍でまねするべき本文組みでもないです。
自分としては「美術展の図録」の解説も、書籍や雑誌のように「読める」ものになればいいなと思っています。