遠近法ノート

本好きのデザイナー、西岡裕二の日記帳なのです。デザインと読書について書くはず。

父に聞く その3

映画は斜陽化

映画がカラーになったのも束の間、一般家庭にカラーテレビが普及し始めます。
どうやら娯楽のかたちが変化してきたようで、映画産業は徐々に斜陽化してきました。
かつて1週間だった上映期間が2週間に伸び、映画看板の仕事は減ってきました。それに、○○画房を支えてきた大先生はもう高齢でした。
そこで、○○画房は○○興業専属を離れて社名も変え、映画以外の看板も手がけるようになりました。しかし、それもだんだん細々となってしまったため、父は会社を辞めました。

普通の看板屋さんへ

会社を辞めた父は、知人の仕事を手伝ったりしていました。母と見合い結婚したのもこの頃です。
結婚前の父には借金があったらしく、母の持参金はその返済で消えたらしい……。
母はだまされたと言っておりますが、定職持ってない男と結婚すんなよ!と僕は思うのでした。
1970年(昭和45)、ちょうど大阪万博の年ですが、父は知人の紹介で○○広告に入社しました。結婚したことだし、ちゃんとした仕事に就かないとね。
○○広告は、屋外広告を手がける会社、まあ普通の看板屋さんです。社員は10人くらいでした。
照明看板(その1に出てきた)の材料はプラスチックに変わっていました。文字自体は写植などを使うわけではなく自分で描くのですが、糸ノコで切り抜いて接着剤で貼るという、以前とはだいぶ違う作りです。3センチくらいまでならそれでいけたらしいです。ゴシックだけでなく明朝体もできたと言います。
ネオンを使う看板も多くなりました。文字はやはり自分で描き、板金屋さんとネオン屋さんにそれぞれ発注するのでした。
(つづく)



○○広告で手がけた看板。30センチ以上の文字は下書きするが、それ以下だと割付だけして直接描きます。



水中翼船の看板は一番の自信作。2メートルくらいありそう。
手元に原画が残っています。

父に聞く その1 id:n-yuji:20050820
父に聞く その2 id:n-yuji:20050828
父に聞く その3
父に聞く その4 id:n-yuji:20050924