遠近法ノート

本好きのデザイナー、西岡裕二の日記帳なのです。デザインと読書について書くはず。

難しい話が出ると東さんが整理する。

ised@glocom 倫理研第3回:議事録を読みました。今回はのっけから抽象的な話で、正直難しすぎますorz
でも、難しい話が出ると必ず東浩紀さんが整理するんですよ。司会だから当然なのかもしれないけど。んで、そうすると、「おぉーそういうことなのかー」てな感じで議論の流れがスーッと繋がっていくんですよね。圧倒的な理解力と絶妙な仕切りで、後半にはいろいろ興味深い話が出ていました。
以下は東さんの発言から。

 北田さんは『嗤う日本の「ナショナリズム」』のなかで、80年代のテレビに焦点を当てました。その意図はこうじゃないかと思うんです。テレビ・ラジオ的なものは、一方でサブカルチャーでありながら、もう一方で国民的な全体性を担保し、ある種の擬似的な社会空間を作り続けてきた。だからこそ、視聴者を、社会空間から脱落させているかのように見せかけて、実は救いとるということができた。

 それが90年代にインターネットが出てくることで、討議空間というか、アイロニーのコミュニティがバラバラに分解してしまった。そのとき、アイロニーという形式、あるいはリテラシーだけは残った。でも、どこに使っていいのか分からなくなってしまった。その結果、アイロニーが目的なく連鎖している2ちゃんねるが誕生した、というのが北田さんの分析だと思うんです。

わかりやす過ぎます。